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志望校変更と相次ぐトラブル

予備校の前期の授業が終わる少し前(6月)に、志望校の変更を行いました。
今回は当時の状況と、なぜ志望校の変更を考えたかについて書こうと思います。

これ以前の話は次の記事に書いたので、良かったら参考にして下さい。↓

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目次

予備校入学時の目標

以前にも書きましたが、予備校入学前に決めた目標について改めて説明します。

目標

私が大学を目指した目標は、次の通りです。

法学部を卒業して弁護士になる

理由は、この記事で書きましたが、「大学受験のきっかけを作ってくれた先輩の真似をした」「独立できそうな仕事をしたかった」「親と同じ仕事をしたくなかった」ことなどです。

ちなみに、弁護士になるには、司法試験という国家試験に合格する必要があります。
ですから、当時の司法試験合格者が多い順に、次の大学を志望校を決めました。

志望校

  • 第一志望:東京大学文科一類
  • 第二志望:早稲田大学法学部
  • 第三志望:中央大学法学部

ちなみに、志望校を決めた時は、大検に合格していなかったので、
大学受験資格すらありませんでした。

ですから、自分の成績は無視して決めました。

そして、これらの大学を目指して4月に予備校に入学したわけですが、
次のような問題にぶつかりました。

予備校時代前半の問題

予備校時代の前半は、モチベーションは高かったのですが、様々な問題がありました。

成績が伸びない

最初の問題は、成績が伸びないということです。
この頃の成績は、次のような感じでした。

5月上旬の成績:河合塾マーク模試

5月上旬に、この年初めての模試を受けました。この時の成績(偏差値)は次の通りです。

  • 英語:61.6
  • 数学:44(数Ⅰ48.7、数Ⅱ42.3)
  • 国語:73.9
  • 生物:53.7
  • 日本史:65.8
  • 3教科(私大型):67.1
  • 5教科(国公立型):59.4

そして、合格判定結果は次の通りでした。

  • 東京大学文科一類:E判定
  • 神戸大学法学部:E判定
  • 岡山大学法学部:D判定
  • 島根大学法文学部:A判定
  • 早稲田大学法学部:D判定
  • 明治大学法学部:B判定
  • 福岡大学法学部:A判定

国公立大は、数学の成績が極端に悪いことが影響して厳しい結果に。
私立大は、国語と日本史で実力以上の成績がとれたことにより、予想よりも良い成績がとれました。

6月上旬の成績:河合塾記述模試

マーク模試の1か月後に、生まれて初めて記述模試を受験しました。
この時の成績(偏差値)は次の通りです。

  • 英語:62.2
  • 数学:44
  • 国語:52.6
  • 日本史:60.2
  • 3教科(私大型):58.3
  • 4教科(国公立型):54.8

そして、合格判定結果は次の通りでした。

  • 神戸大学法学部:E判定
  • 大阪市立大学法学部:E判定
  • 岡山大学法学部:E判定
  • 熊本大学法学部:C判定
  • 島根大学法文学部:A判定
  • 早稲田大学法学部:E判定
  • 早稲田大学社会科学部:E判定
  • 明治大学法学部:D判定

国公立大学では、当時私大型の3科目受験が可能だった熊本大のみがC判定、他の大学は軒並みE判定。私大も早稲田の2学部でE判定となってしまいました。

5月と6月の成績比較

5月と6月の成績を比較すると次の表になります。

5月 6月 5月と6月の差
英語 61.6 62.2 +0.6
数学 44 44 0
国語 73.9 52.6 -21.3
日本史 65.8 60.2 -5.6
生物 53.7 0
3教科(私大型) 67.1 58.3 -8.8
5教科(国公立型) 59.4 54.8 -4.6

英語が横這いで、国語と日本史が落ちてきています。

そして、数学は1ヶ月経っても低空飛行のままです。

マーク模試と記述模試は、受験者層が違うので単純な比較はできませんが、
このままの状態でいくと、さらに成績が落ちていきそうな予感がありました。

何か対策を打たねばなりません。

何をすれば成績が上がりそうなのか、課題はわかっていた

ちなみに、何をすれば成績が上がりそうなのかは、わかっていました。

例えば、私大の受験科目では次のような課題がありました。

教科 課題
英語 ・語彙力が貧弱すぎる
・英文を読むスピードが遅すぎる
・文法語法問題の対策をまだ全くやっていない
古文 ・語彙力が貧弱すぎる
・古典文法を完全にマスターしていなかった
・文法の知識を使った読解がきちんとできていない
日本史 ・私大入試で配点が大きい近現代を勉強していない
・難関私大レベルの勉強を全くしていない

これらの課題を解決していかなければ、
国立だけでなく私立の入試でも失敗しそうな予感がしました。

でも、これ以上勉強時間を増やすことができない

既に課題がわかっている場合、一日の勉強時間を増やして、
それを一つずつツブしていくのが手っ取り早い対策です。

けれども、私は予備校に入学したばかりの頃から、
眠る時間以外は一日中勉強していたので、
これ以上勉強時間を増やすことは困難でした。
(詳しくは「私の予備校時代の生活について」という記事を参照)

そこで、この記事に書いたように
「多く時間をかける科目」「時間をかけない科目」にわけて、
時間のやりくりをしてきたのですが、それも限界にきていました。

最重要科目である英数の勉強時間を捻出するため、
国語や日本史の勉強時間を節約していたのですが、
それらの成績が下がり始めていたからです。

既に2浪の年齢になっていた

もう一つの問題が、年齢のことです。

私が寝たきりの引きこもり状態から、
どうにか大学受験資格を得たのが一浪の年齢です。

そして、本格的な受験勉強をするために予備校に入学したこの年には、
二浪の年齢になっていました。

ですから、大学に入学できたとしても、同級生にうまく溶け込めるのか心配でした。

また、卒業後の就職活動のことも不安要素でした。

なぜなら、「現役生と同じような就活ができるは、2浪まで」という話を、
人から聞いていたからです。

もう後はありません。

一日も早く大学に入学しなくてはならないと考えていました。

後に実際に就職活動をして感じたことですが、
2浪したことで就活が極端に不利になったという印象はありません。(私だけでなく友人も含め)

けれども、3浪以上の年齢の人たちは、苦戦している印象がありました。

3浪以上であっても、就職自体は普通にできますが、大学生の就活人気ランキングに出てくるような人気企業への就職を考えている人は、遅くとも2浪までに決着をつけた方が良いと思います。

問題に対する選択肢は2つ

上記のような状況に対して、私がとれる選択肢は次の2つでした。

選択1:3浪覚悟で第一志望を目指す

やるなら3浪の覚悟が必要だと考えた

現状の成績・成績の伸び方・入試までに残された時間(約8ヶ月)の3つを考慮すると、
次回の入試までに東大レベルへ成績を上げるのは困難だと考えました。
ですから、引き続き東大を目指すなら3浪の覚悟が必要です。

3浪で東大に入学した場合の予想

また、3浪で東大に入学した場合の生活を予想してみました。

就職活動 ・苦戦しそうな気がする
資格試験 ・自分の努力次第なので、2浪も3浪も関係ないかもしれない
人生の経験 ・友達を作るなどの社会復帰が1年遅れる

勝ち目

3浪したからといって受かる保証はありません。
ここから1年勉強すれば、成績は伸びると思いますが、
それでも受かるかどうかは、やってみなければわかりません。

また、自分に3浪を許可することで、気が緩むのではないかという不安もありました。

選択2:私大専願に変更し、来年絶対に大学に入学する

では、私大専願に変更した場合はどうなのか、考えてみました。

2浪で早稲田や中央大に入った場合の予想

2浪で早稲田や中央大に入学した場合のメリットとデメリットも考えてみました。

就職活動 ・苦戦するかもしれないが、3浪するよりはマシかもしれない
資格試験 ・自分の努力次第なので、2浪も3浪も関係ないかもしれない
人生の経験 ・友達を作るなどの社会復帰が1年早く行える
・一年早く社会に出て働くことができる

勝ち目

私大なら、受験科目の全てが比較的得意な科目だったので、
自分の長所が活かせ、弱点を出さずに済みます。

この時点では、早稲田や中央大の法学部はE判定と厳しい状況でしたが、
これから努力をして数多くの大学を受ければ、
どこか司法試験に実績のある大学に合格するだろうと考えました。

この時期に志望校変更を決めた理由

では、なぜこの時期に志望校の変更を決めたのかというと、それは次の2つの理由です。

間もなく夏休みが始まるから

この時期に志望校変更を決めた理由の1つは、間もなく夏休みが始まるということです。

予備校の夏休みは、通常の授業が行われないので、
自分で自由に勉強スケジュールを組み立てことができます。

このため、弱点を補強する最大のチャンスなのです。

この時に何を補強するかが、合否を分けるポイントではないかと考えました。

どの大学を目指すかにより、夏休みの使い方が全く違うから

2つ目の理由は、どの大学を目指すかにより、夏休みに勉強する内容が違うということです。

3浪覚悟で東大を目指す場合

3浪覚悟で東大を目指す場合は、
今まで通り英数に全力を注ぐことを考えていました。

どちらも時間がかかる科目なので、「目先の成績にとらわれずにしっかりと英数の土台を作らなければならない」と考えたからです。

私大専願に変更し、来年絶対に大学に入学する場合

来年の合格を目標にする場合は、「目先の成績を重視」していかなければなりません。

そのためには、苦手なことや未習分野など、どんどん潰す必要があります。

特に、今まで勉強時間を減らされていた、国語と日本史に時間を割かねばならないと考えていました。

悩んだ末に私大専願に変更

そして、1ヶ月以上悩んだ末、夏休み目前となった6月のある日、私大専願に変更しました。

新たな志望校

新たな志望校は次の通りです。

  • 第一志望:早稲田大学法学部
  • 第二志望:中央大学法学部
  • 第三志望:早稲田大学社会科学部

この時も、司法試験合格者数順に志望校を決めました。

当時司法試験の合格者数が2位と3位だった早稲田大学と中央大学の法学部を繰り上げて、第一・第二志望にしました。

早稲田大学社会科学部を第三志望にした理由:社会科学部は、政治学・法学・経済学・経営学など「社会科学」を総合的に学ぶ学部です。この学部では、法学系の科目ばかりを履修すれば、法学部で学ぶ内容に近づけることができますし、大学入学後に法律以外に興味が出た時も、他分野の勉強ができる点に魅力的を感じました。これが第三志望に加えた理由です。

志望校の変更理由

志望校変更の一番の理由は、「一日も早く社会復帰したい」という気持ちです。

なぜなら、私は引きこもり生活を4年近くしていて、
長い間人と関わらずに過ごしてきたからです。

特に、10代の若い時期を棒に振ってしまったという、強い後悔がありました。

ですから、「3浪して、さらに1年も人と関わらない生活をしても良いのか?」
そんな風に考えて決断したように思います。

決して楽になったわけではない

また、志望校を変えたからといって、決して楽になったわけではありません。

目標が国立大の最難関から、私立大の最難関に変わっただけです。

しかも、この時点では3つ志望校は全てE判定でした。

後悔する気持ちもありました

また、志望校変更に関して、後悔がなかった言えば嘘になります。

この時、次のようなことを考えていたことを覚えています。

  • 今諦めたら、これからも色んなことを諦める人間になるのではないのか?
  • ここまで頑張ってきたのに諦めても良いのか?
  • 今までに勉強に費やしてきた時間が無断になるのではないのか?
  • 無駄な時間を使ったせいで、私大に特化した勉強をしてきた人に差をつけられたのではないか?

でも、クヨクヨしても時間は戻ってきませんし、やるしかありません。

やることは沢山あるし、残された時間は少ないのですから。

必ずできると信じて、再出発です。

予備校のコース変更をする

第一志望を早稲田に変えた後、予備校のコース変更を行いました。

クラス変更の手続き

予備校のチューター(担任)に「第一志望を早稲田大学に変えたので、後期から早稲田クラスへ変更したい」と伝えました。

この時、「自分の学力で早稲田クラスに入れるのか?」「反対されるのではないか?」など、色んな不安はあったのですが、拍子抜けするくらいあっさりと変更ができたことが印象に残っています。

また、チューターがすぐに手続きをしてくれたおかげで、前期の残り日数が少ない時期でしたが、少しだけ早稲田クラスの授業を受けることができました。

後期のクラス編成試験

クラス変更して間もない7月上旬に後期(9~12月)のクラス編成試験がありました。

この時の成績は次の通りです。(4月の成績と比較)

教科 4月 7月 4月と7月の差
英語 59.7 63.4 +3.7
現代文 63.8 59.6 -4.2
古文 63.5 65.0 +1.5
漢文 60.4 62.3 +1.9
日本史 60.0 53.3 -7.7

これにより後期も早稲田クラスに在籍が決定しました。

「さぁ、気分を切り替えて張り切っていくぞ」と言いたいところですが、
この頃、色々なトラブルが起こったのです。

相次ぐトラブル

家族が事故で入院する

最初のトラブルは、家族の事故でした。

命に関わる怪我ではありませんでしたが、
入院や手術等で心配で気が散って、勉強した内容がなかなか頭に入ってきませんでした。

ですから、不安をかき消すため、勉強に没頭するように努めたことを覚えています。

親の仕事にトラブル発生

時を同じくして、受験時代最大のトラブルが起こりました。

親の仕事に大きな問題が発生したのです。

これにより、我が家の収入はほとんどなくなりました。

この時、次のように考え、東京の私学を目指そうと思える気持ちではありせんでした。

  • 皆が大変な時期に、働かずに勉強していても良いのだろうか?
  • 仮に大学に受かっても卒業できるのだろうか?

けれども、「大学のことは何とかするから、あなたは勉強してなさい」という
親の言葉を信じて勉強に没頭しました。

今思えば、合格できたのはこの事件があったからだと思います。

当時は、不安な気持ちでいっぱいでしたが、
「今を逃せば二度と大学に進学するチャンスはない」という緊張感が
最後まで頑張らせてくれたように思います。

続きはまた書きます。

 

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