今回は、行動範囲が自室から家の中全体へ広がった後の出来事と、
当時私がどんなことを考えていたのかを書いてきたいと思います。
これ以前の話は次の記事に書いたので、良かったら参考にして下さい。
外出するのが怖い
お見舞いのために外出するようになる
祖父が風呂で沈んでいるところが見つかって、
救急車で運ばれたことを前回の記事で書きました。
そして、祖父の経過が気になるので、
家族と一緒にお見舞いに出かけるようになりました。
家に出られるようになったのは、このことがきっかけです。
お見舞いのために、外出するようになったこと
また、後に親から聞いたのですが、
祖父の看病という新たな仕事が生まれたため、
私のことに対して悩む時間が減ったそうです。
これにより、以前より私のことは心配されなくなりました。
おかげで、気楽になったように思います。
「引きこもり」と別の問題が発生したため、家族の注意が分散したこと
その後、祖父が快方に向かい始めたこともあり、
我が家は、以前よりも明るいムードになったことを覚えています。
人の目が怖い
こうして、時々なら外出できるようになりましたが、
気楽に外出できるようになったわけではありません。
人の目が怖いので、「コンビニや書店に行く」といった、
以前なら普通だったことが、できなくなっていたのです。
それどころか、外に出て街を歩くことすらできませんでした。
それは、外に出ると、次のようなことを人から言われるかもしれないと、
おびえていたからではないかと思います。
- あの子、学校に行かず昼間からブラブラして大丈夫なのかしら?
- アイツ、学校にも行かず、仕事もせずに何してるんだ?
そして、おびえていた理由は、当時の私が次のように考えていたからです。
- 皆は高校に通っているのに、退学してしまった自分は恥ずかしい。
- 働いてもいない自分は、人から馬鹿にされているのではないか?
- このままではダメだ。現状を変えなければならない。
- だけど、そのためのヤル気がどうしても出ない。
- どうして自分は頑張れないのだろうか?
こんな考えが頭の中に浮かんできては、それが心の中を一日中ループしていたのです。
そして、24時間休むことなく、こうしたことを考えていたため、
不安な気持ちで心が爆発寸前になっていました。
そして、こんな心の状態で人に次のことを言われたら、
自分がどうなってしまうのかとても不安だったのです。
- あの子、学校に行かず昼間からブラブラして大丈夫なのかしら?
- アイツ、学校にも行かず、仕事もせずに何してるんだろ?
これが、「人の目が怖い」と感じた理由だと考えています。
当時は外に出ると「刺すような視線」を感じていたことを覚えています。
今の自分なら「誰も自分のことなどイチイチ見ていない。肩書があろうと無かろうと、他人は気にしていない。だから、そんなこと気にするな」と考えます。
けれども、当時の私はまだまだ普通の状態ではなかったのです。
ですから、祖父のお見舞いで外出できるようになりましたが、
自主的に外出できるようになるまで、ここからさらに時間がかかりました。
「ヒマだなぁ」という気持ちが復活する
「引きこもりの時って、家の中でじっとしていてヒマじゃなかったの?」
と聞かれることがありますが、当時はヒマだと感じたことはありません。
なぜなら、「何かをやりたい」という気持ちが失われていたからです。
元気な人は次のことを当たり前のように行っています。
- 何かをやりたいと感じること
- 何かをしたいが、目ぼしいことが無いために、『ヒマだなぁ』感じること
けれども、これらは実は「元気を必要とすること」なのではないかと思います。
それが、勉強や仕事ではなく遊びであってもです。
疲れを強く感じていた頃は、こうした気持ちになることはありませんでした。
けれども、この頃から「ヒマだなぁ」という気持ちが復活し始めたことを覚えています。
元気の回復が表面に現れ始めたからかもしれません。
元気が戻ってきて、「好きなことをしたい」と思えるようになったこと
ヒマつぶしに行っていたこと
テレビを見る
集中力が失われていたので、最初の頃は番組の内容が頭に入ってきませんでした。
短時間しか見ない日もあれば、
放送開始から終了まで一日中みたりすることもありました。
ちなみに、見ていた番組は、「ニュース番組」「子供向けの番組」などです。
逆に苦手だったのは、「若者が登場するドラマ」「音楽番組」「お笑い番組」です。
なぜ苦手だったのかというと、今の自分と比較して惨めな気分になるからです。
ですから、当時そうした番組は全く見ていません。
このため、大学入学後に友達に話を合わせるのに、少し苦労したことを覚えています。
このことは、別の機会に書こうと思います。
ゲームをする
この頃はゲームもよくやっていました。
ちなみに、遊んだのは「リアルな人間関係が出てこないもの」が中心です。
特に長い時間プレイしていたのが、箱庭ゲームと呼ばれるジャンルの次の2つです。
- シムシティ
- A列車で行こう
これらのゲームで遊んでいる間、「心を空っぽ」にすることができたことを覚えています。
そして、心が空っぽになっている間は、次の「頭の中の独り言」が止まっていたのです。
- みんな高校に通っているのに、退学してしまった自分は恥ずかしい。
- 引きこもりで無職の自分は、人から馬鹿にされてるのでないだろうか?
- このままではダメだ。現状を変えなければならない。
- だけど、そのためのヤル気がどうしても出ない。
- どうして自分は頑張れないのだろうか?
このように、「ネガティブな考えがストップする時間」が増えるほど、
元気が戻ってきたように思います。
それから、初めの頃は短い時間しかプレイできませんでしたが、
次第に長時間プレイできるようになったことも印象に残っています。
この時、集中力が復活し始めたのだと思います。
好きなことに没頭している間、ネガティブな思考が止まっていたこと
好きなことに没頭して、集中力が復活してきたこと
DTMをする
この頃は、DTM(デスクトップミュージック)も、楽しんでいました。
PCに音楽を自動演奏をさせるプログラミングを行う趣味です。
DTMは、楽譜のデータをコツコツと入力するため、集中力を要します。
また、機械的な演奏ではなく、人間が演奏しているようなリアルな演奏に近づける
プログラミングには思考力も必要です。
こうした作業に没頭しているうちに、思考力も少しずつ回復していきました。
そして、作業中はネガティブな思考もストップしていたので、
心を落ち着かせることにもつながったと思います。
好きなことに没頭して、思考力が復活してきたこと
また、どうしても演奏プログラムを入力したい曲がいくつもありました。
そのためには、楽譜が必要になります。
当時の私にとって外出することは怖いことでしたが、
頑張って楽器屋さんに出かけたことを覚えています。
好きなことが、私に外へ出るきっかけを作ってくれたのです。
好きなことをするために、不安を乗り越えて外出したこと
ここでのまとめ
この頃の私は、第三者から見ると、
勉強も仕事もせずに遊んでいるように見えたかもしれません。
けれども、「好きなことに没頭すること」が、
引きこもりから脱出する下地の一つになったのだと思います。
そして、好きなことをやろうと思えるようになったのは、
「ゆっくり休んだこと」「家族が変わってくれたこと」「見捨てずに待ってくれた人がいたこと」があったからだと思います。
これらのうち、何か一つでも欠けたら、その後の人生の展開がなかったかもしれません。
振り返ると、様々なことに対して、感謝の思いがわいてきます。
この記事の続きは、次のページに書きした。↓
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