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引きこもりから脱出できた理由を振り返る(2):行動範囲が自室から家の中全体へ広がる

今回は、寝たきり状態から少し回復した頃の出来事と、
当時私がどんなことを考えていたのかを書いてきたいと思います。

これ以前の話は次の記事に書いたので、良かったら参考にして下さい。

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目次

行動範囲が自室から家の中全体へ広がる

私は3つの段階を経て引きこもりから回復しました

私の次の3つの段階を経て引きこもりから回復していきました。

  • (1)自分の部屋から出ることができない
  • (2)家から出ることができない
  • (3)家から出ることができない(でも時々なら外出できる)

ちなみに、今回書くのは「(1)自分の部屋から出ることができない引きこもり」から
「(2)家から出ることができない引きこもり」へ回復した時の話です。

この2つの違いは、次の通りです。

  • (1)は行動範囲が「自室」のみ
  • (2)は行動範囲が「家の中全体」に広がる

大して変わっていないように思えるかもしれませんが、
実はこの2つの間には大きな心境の変化があったのです。

では説明していきます。

まず、「(1)自分の部屋から出ることができない引きこもり」の時期は、
最も心を閉ざしていた時期になります。

そして、部屋から出られなかったのは、当時の私が次のように考えていたからです。

  • 自分の部屋しか安全な場所がない
  • 家族は自分を傷つける相手

今はこんなことは考えませんが、
当時の私は、こんな風に考えるくらい普通ではありませんでした。

そして、このように考えていたのは、
家族が投げかけた言葉が引き金となって、
感情がコントロールできなくなっていたからです。

こうしたことを防ぐために、部屋から出ませんでした。

その結果、私は次のことを行っていたのです。
(意識してしていたわけではありませんが、結果としてそうなりました)

  • 赤ちゃんのように一日中眠って心を休ませる
  • 人との接触を断って、心を落ち着かせる

(ここまでの詳しい話は、こちらの記事に書きました。)

「見捨てる」のではなく、静かに「見守る」

自室に引きこもっている間に、家族の私への接し方が変わってきました。
「不安の引き金になること」を言われなくなったのです。

これにより、心が安らかな時間が増えていったことを覚えています。

ちなみに、「不安の引き金になること」とは次のようなことです。

  • このままで大丈夫なの?
  • 将来どうするつもりなの?

ただ、何も言われなくなりましたが
「見捨てられた」のではなく「見守られている」のだなと考えていました。

心が安らかな時間が増えたために、物事のとらえ方が変わったのかもしれません。

こうした変化によって、

  • 自分の部屋しか安全な場所がない
  • 家族は自分を傷つける相手

という、私を部屋に閉じ込めていた「思い込み」が、
少しずつやわらいでいきました。

家族の変化のおかげで「自室から出られるようになる下地」が作られたのだと思います。

引きこもり脱出の要因3

家族が不安の引き金になることを言わず、見守ってくれるようになったこと

この頃の生活について

睡眠時間が少しずつ短くなる

引きこもりを始めた頃は、一日20時間くらい眠っていましたが、
一日中眠り続ける生活を続けていくうち、「謎の疲れ」は軽くなっていきました。

そのおかげで、睡眠時間はまだまだ長かったのですが、少しずつ短くなっていったことを覚えています。

意欲や行動力が復活し始める

「風呂に入りたい」「歯を磨きたい」という欲求が復活しました。

寝たきり生活をしていた頃は、風呂や歯磨きをしていなくても、
どうでもいいと感じていました。

もちろん、不快感はあるのですが、
それを解消しようとする意欲や行動力が失われていたのです。

まるで、生きる屍のような感じでした。

けれども、この頃から
「汗でベタついて気持ち悪いから風呂に入りたい」とか
「口の中をサッパリさせたいので歯を磨きたい」
という考えが浮かぶようになったことを覚えています。

この頃、失われていた「意欲」や「行動力」が少しずつ復活し始めたのではないかと考えています。

家族との関係

この頃も、家族とは話すことはありませんでした。
食事は一人で部屋でとり、風呂やトイレも家族が寝静まった後や、
外出している間に行っていました。

家族以外との人間関係

不登校になったばかりの頃、
それを心配した友人が家に訪れていたのですが、
いつ来ても私に会えないため、次第に来る人はいなくなってしまいました。

けれども、中高の部活の先輩であるAさんだけは、
その後もウチに来てくれていました。

何度来ても、会えないにも関わらずです。

Aさんの訪問があったことを親から伝えられる度に、
「自分のことはほっといて欲しい」と思うのですが、
この頃は「せっかく来ていただいたのに、申し訳ない」という気持ちも、
少しずつ芽生え始めていました。

そして、「全ての人から見捨てられたわけじゃないんだ。」と、
どこかホッと思えたことも覚えています。

その後、Aさんは東京の大学に入学するまで、
2年間も定期的に通い続けてくれました。

引きこもり脱出の要因4

見守ってくれている人が家族以外にもいたこと

ペットのこと

小学生の頃から室内犬を飼っていました。
家族が寝静まった真夜中に部屋から出た時、その犬を撫でたりしていました。
どんな時も明るく受け入れてくれる犬に、慰められました。

引きこもり脱出の要因5

ペットが孤独をやわらげてくれたこと

部屋から出るきっかけとなる事件発生

ある日、部屋の外が騒がしいことに気づきました。

一体何が起こったのか耳を傾けていると、
祖父が風呂で溺れて、浴槽に沈んでいるというのです。

大変な起こっていることを聞いて、
「引きこもりモード」から「緊急モード」に切り替わりました。

急いでバリケードを取り除き、部屋を飛び出しました。
その時、親は祖父が飲んだ水を吐かせたりしていたため、私は急いで電話の前へ。

そして、しどろもどろになりながら、救急車を呼びました。
長い間、人と会話をしたことがなかったので、うまく口が動かなかったのです。

その後も、救急隊の人を誘導したり、活発に動いていたことを覚えています。

当時は、この事件は悪い出来事だと考えていましたが、
今思えば、これが「自室から出られるようになるきっかけ」になったのだと思います。

この事件を機に、私は部屋から出られるようになり、
家族ともほんの少しですが、会話ができるようになり始めました。

このことから思うのは、「目の前の不幸に思えること」も、「その後に起こる良い出来事」の布石なのかもしれないということです。

希望が全く見えない辛い時期でも、

  • この出来事をきっかけに良いことが起こるんだ
  • これから良いことが起こるんだ

そんな風に考えると気持ちも明るくなりますし、
実際にそうなっていくのではないかと、この出来事を振り返るたびに思います。

その後、祖父は命を取り留めることができました。

引きこもり脱出の要因6

心を切り替えてしまうほどの緊急事態が発生したこと

ここまでのまとめ

バリケードを作って引きこもってから、家の中を自由に動き回れるようになるまで、
約1年の時間がかかりました。

今なら、ドアを開けるなんて簡単なことですが、
固く閉じた自分の心をほぐすためには長い時間が必要だったのです。

今思えば、この時にしっかりと休んで、心を落ち着けたおかげで、
少しずつ復活への下地が作られていたのだなと思います。

そして、当時は「時間が止まったまま」だと感じていましたが、
見えない部分が着実に進化していたのです。

当時の私のように、変化を感じられずに不安な方も、
実は見えない部分で色々な変化が生まれてるのかもしれせん。

この記事の続きは、次のページに書きした。↓

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